【書評】日本人のための日本語文法入門

ITOH Akihiko
4 min readFeb 8, 2020

三年ちょっとのドイツ生活の中で、適当な日本語の言い回しが出てこなかったり、漢字の書き方を忘れてしまったりということをしばしば経験してきた。また、日本語を学んでいるドイツ人に日本語の文法について質問されて考え込む場面も何度かあった。

そんな折、「日本人のための日本語文法」という本をたまたま見つけて買った。

原沢伊都夫 「日本人のための日本語入門(講談社現代新書)」

タイトルの通り、日本人(正確には日本語を母語とする人)のために日本語の文法を解説する本。

日本語を勉強している外国人に日本語の文法について尋ねられて答えに窮するという場面を経験したことがある人は少なくないと思う。自然な日本語の文を組み立てることはできても、それはどういう体系に基づいているのか、つまりなぜそのように組み立てるのか、ということは、母語話者であるがゆえに意識すらしない、ゆえに他人にうまく説明できないことが多い。

「日本人のための日本語文法」では、我々が小中学校で習う、形式的な品詞の分類や活用に重きをおいた「学校文法」ではなく、体系的で実践的な「日本語文法」を日本語話者向けに解説する。

「なにげなく使っているけれど、説明を求められると困る」ことの一つに「が」と「は」の使い分けがあるだろう。例えば、以下のような文を考える。

  1. 父親が台所でカレーライスを作った。
  2. 台所では父親がカレーライスを作った。
  3. 父親台所でカレーライスを作った。
  4. カレーライス父親が台所で作った。

学校文法では「父親(主語)」が「台所で(修飾語)」「カレーライス(目的語)」を「作った(述語)」となるだろう。しかし、日本語文法ではこれらを「主題」と「解説」に分解する。2–4はいずれも1と同じ事実を述べているが、2では「台所で」が主題、つまり話者が話題の中心としていることとして選ばれており、続く「父親がカレーライスを作った」が台所で起きていることを解説している。3では「父親」が主題で「台所でカレーライスを作った」が解説、4では「カレーライス」が主題で「父親が台所で作った」が解説、という具合である。主題が「カレーライス」であれば、主語である「父親」は文中に登場してもしなくても意味のある文ができる。

こう分解してみるとわかるように、日本語では「主語-述語」という関係は必ずしも重要ではなく、「主題-解説という」関係が基本になっていると言える。これが例えば英語だと、”Father cooked the curry in the kitchen.” ”The curry was cooked by father in the kitchen.”のようになり、主題と主語は一致する。

「消える」「消す」、「生える」「生やす」、「壊れる」「壊す」、「沸く」「沸かす」、「見える」「見る」のような、自動詞と他動詞のペアの多さに日本文化の反映を見出している点も興味深い。「電気が消える」という変化に着目すれば自動詞、「電気を消す」という動作に着目すれば他動詞、という具合だ。

「先生、ペンがなくなりました」「ペンが歩いてどこかへ行くわけないんだから『なくした』でしょう」というような会話は誰しも経験があるだろうが、生徒からすれば意図して「なくした」わけではないのだから「なくなった」のである。

この他にも、「ボイス」「アスペクト」「相対/絶対テンス」「ムード」など、学校では習わない、そして普段我々が意識もせず使っている日本語文法の体系が平易な言葉遣いで実例や演習とともに解説されていて、スラスラと読むことができる。

より専門的な文献も豊富に示されていて、日本語文法についてさらに広く深く理解したい読者がそれらをたどっていけるようになっている。

普段ほとんど意識することのない日本語の文法を体系的に理解することは、日本語を正しく使うことに役立つだけでなく、日本語学習者からの質問に対して自信を持って答える助けにもなると思う。

また、母語の文法体系を把握していることで外国語の文法体系との差異も意識しやすくなり、外国語学習がより効率的なものになるのではないかとも思う。

原沢伊都夫 「日本人のための日本語入門(講談社現代新書)」

--

--